Kyoto City University of Arts
Advanced Design Studies
PoolRiver#50
誰に頼まれたわけでもないのにアーティストへコンタクトして取材を取り付け、日本のメディアに記事を売り込んで航空券代の足しにした。何度も現地に足を運ぶなかで各地に知り合いも増え、アジア圏に薄っすらと自分の足場のようなものがつくられていくような気もしていた。
ロスト・イン・リアリティ MOTEのアジアンクラブ漂流記2018/2024 | WORKSIGHT[ワークサイト]25号 アジアのほう Towards Asia
二重になった扉を開けると、そこにはベトナム産のダンスミュージックであるビナハウスが鳴り響いていて、数百人のベトナム人が汗を流しながら踊っている。知らないダンスミュージック。知らないダンス。それまで何度も訪れていた台湾で一度も見たことのなかった景色。それはある意味で、メタバースのようにも感じられた。このクラブで踊っている人々はたしかに自分と同じ現実を生きているが、そのレイヤーはまったく異なっていた。交わることのないレイヤーが交じる感覚。
ロスト・イン・リアリティ MOTEのアジアンクラブ漂流記2018/2024 | WORKSIGHT[ワークサイト]25号 アジアのほう Towards Asia
それぞれのやり方で、人びとは街のあちこちでたむろしている(していた)はずだ。それが街の風景をつくっていき、ひいては街の文化をつくっていく。ストリートカルチャーの話をしているわけではない。わたしたちはいろいろなところでたむろし、しょうもないことやシリアスなことを話し合う。バンコクで、ソウルで、上海で、クアラルンプールで、ジャカルタで。場所が違えど、きっとみんな同じようにたむろしている。
動画に付されたタイトルとわずかなキャプションがクラブの名前を指しているのかパーティの名前を指しているのか判断はつかなかったが、手がかりになりそうな単語を片っ端から検索フォームへ入力していく。Google、Baidu、Twitter、Instagram、Facebook、TikTok……いくつものプラットフォームへ潜っているうちに、どこか似たような雰囲気の画像を上げているアカウントがあることに気づく。Google Mapに住所を打ち込むと、T駅のそばにある雑居ビルが表示された。ストリートビューで建物のまわりをぐるぐる回っていると、建物の側面にクラブと思しき電飾がつけられているのが見える。どうやらそのお店は2階と3階に入居しているようだ。窓は塞がれていて中の様子は見えない。ストリートビューの写真は2022年に記録されたものだったが、何があるか確かめたいならば、そこに行かなければいけない。
こうした移民労働者向けのクラブは韓国に限らずあちこちにあり、多くの場合は外国人(今回の場合はタイ人以外の人々を指す)は入れないようになっていることを知った。国籍を理由に入れないクラブがあること。そこには多くの移民労働者が集まっていること。そして、そこでは彼/彼女らの国のダンスミュージックが鳴り響いていること。
ロスト・イン・リアリティ MOTEのアジアンクラブ漂流記2018/2024 | WORKSIGHT[ワークサイト]25号 アジアのほう Towards Asia
結局のところ、自分はカルチャーというより現実にしか興味がないのかもしれないとふと思う。言うまでもなく、カルチャーとは現実に根ざしたものでもある。しかし、それがインターネットを通じて広がり、グローバルにつながっていくうちに、どこか現実と乖離した情報になってしまうことも少なくないだろう。
ロスト・イン・リアリティ MOTEのアジアンクラブ漂流記2018/2024 | WORKSIGHT[ワークサイト]25号 アジアのほう Towards Asia
どこかを訪れるたびに、週末に行われるパーティを調べ、クラブへ足を運ぶ。上海にもソウルにも行き慣れたクラブがあって、どこにいても東京とさほど変わらない気もしてくる。
ロスト・イン・リアリティ MOTEのアジアンクラブ漂流記2018/2024 | WORKSIGHT[ワークサイト]25号 アジアのほう Towards Asia
日本で暮らす人びとが「アジア」と言うとき、日本がそこに含まれていることは半ば自明のこととされている。一方で、アジア圏の国ぐにの文化を「アジア」とひとくくりにして語れないのも当たり前の事実だ。いつだって「アジア」の「僕たち」は一枚岩ではなく、幾層もの柔らかな壁に挟まれて移ろっている。壁はなくなることもあるし、増えることもある。国境が壁となることもあれば、民族や文化が壁となることもある。壁のあり方は極めて流動的だ。
ビナハウスのシンセがフロアに鳴り響き、キックが身体を震わせる。ぼくはこの場から浮きたくなくて、人一倍踊ろうとする。見様見真似のステップ。見様見真似のダンス。でも、目の前で踊る人々と自分が異なるレイヤーで生きていることを知っている。それらは重なることはあっても、一体化することはない。ぼくにとってそのクラブはレイヤーの“裂け目”のようなものとしてある。普段はほとんど交わらないレイヤーが、音楽とダンスを通じて、かろうじてつながりかけていく。