Kyoto City University of Arts
Advanced Design Studies
PoolRiver#47
学外の方も聴講可能とします。
秩序と最大公約数的快適さを重視するofficial/ commonの公共が前景化する一方で、振る舞いの多様性を許容するopenの公共は十分に顕在化してこなかった可能性がある
誰にも触れることも触れられることもなく
『あたりまえ』を軽やかな形で分解する試み
生活と制作、身体と風景のあいだに横たわる分断=距離を自らの手で測り直す
地域レビュー(東京):原田美緒評「深田拓哉個展 走る人」/「北川光恵個展 部屋に入った積荷までのあいだ」(美術手帖、2025年)
例えば、ワークショップに参加した人びと(ここにはアーティストも含まれる)は、展示室内で動き回り、声を出すことが許された。その際、展示室は静かな鑑賞の場というよりも、ある種の身体実践の実験場となったと言える。しかし、同じ空間にたまたま居合わせた来館者にとっては、従来の静かに見なければならないという規範が暗黙のうちに保たれていた。よってそのワークショップやパフォーマンスがその規範から「逸脱」する実践として捉えられていたように思う。その結果、美術館の内部には「逸脱してよい人」と「逸脱してはいけない人」という見えない線が引かれていた。つまり、場を開こうとしたはずの実践が、逆に新たな境界を生み出してしまったのだ。
自分の意志で、自分の声を届ける
男性中心的に構築されてきたインターネット史
Lecture Performance「インターネットのセクシュアル・ヒストリー」Mindy Seu(TOKYO ART BOOK FAIR、2025年)
見過ごされてきたものを可視化するだけでなく、私たち自身の感覚をずらし、私たちが「在る」ということを実感させる
現代を生きる私たちも、自分が手にしたコーヒーが、遠い誰かの死に関係しているなどとは思わない。自分の行動が誰かの死につながる可能性についての意識が希薄なまま、日々を過ごしている。
地域レビュー(東京):原田美緒評「小林エリカ Yの一生 The Life of Y – ひとりの少女」展/「平山匠 ここがいい」展(美術手帖、2025年)
作品に補助線を引いてくれる存在