Kyoto City University of Arts
Advanced Design Studies
PoolRiver#27
インターネットの登場を契機に、本は純粋に情報を伝えるためのメディアでは存在しきれなくなり、“表現としての本”に変わっていきました。すると、作り手である出版社の特徴が色濃く表れるようになったんです。本というものをどう捉えているか、本を通じてどういう文化を伝えたいのか。
長辺が50センチを超える規格外の判型は、この書物自体が彫刻作品のような物質性を備えています。
本といえば、書店に並んでいる一般的な規格のものが思い浮かびますが、ここに掲載されている本は箱にシート状の印刷物が収められたり、板をクランプで留めたものだったり、薄紙が使われていたり、極端に大きかったりとさまざまです。
背はコの字型に曲げられたプラスチック製のパーツで、2本の金属ボルトがページを束ねています。
リソグラフは、再現性の高い印刷方法ではありません。滲みやカスレが生じることもあり、色も忠実に再現するには向きません。また、3色以上を重ねる際には印刷機を2回通す必要がありますが、この時に版がズレるエラーも起こります。しかし印刷の工程で作家がコントロールできないエラーが生じること、これがリソグラフでアートブックを制作する魅力のひとつになっており、今日ではさまざまなアクシデントをあえて取り入れた作品が世界中で制作されているのです。
複数の本が重ねて撮影され、ページをめくるごとに一冊ずつ本が少なくなっていく
対してこの本は、並製本という当時の限られた選択肢の中から選ばれたごく一般的な造本ですが、紙の質感や本のサイズ、図版やレイアウト、テキストの入れ方といったディテールをていねいに仕上げています。奇をてらわない些細な選択の蓄積がアートブックとしての魅力を築き、結果として時が経過しても色褪せない魅力が備わっていたのです。
中島: 中学校で COMME des GARÇONS (コムデギャルソン) を知ったことがきっかけですね。今でも覚えているのが、クラスに平林くんという3歳くらい年上のお兄さんがいる同級生がいて、その子に「〇〇っていうブランド知ってる?」といわれて、その時は聞き取れなかったんですけど、「コム」って単語がついている、というのはかろうじてわかった。で、家に帰って「コムってつくブランドがあるんだけど知ってる?」と家族に聞いたら「COMME des GARÇONS じゃない?」といわれたんです。当時はファッション通信というコレクションを紹介するテレビ番組がやっていて、それで「COMME des GARÇONS ってこんなにすごいブランドなんだ」と知って。すごい衝撃を受けたんです。<br/> 山口: ちなみに、その時って何年のコレクションですか?<br/> 中島: 中二とかだったので1993年か1994年ですかね。<br/> 山口: あー、なるほど、なるほど。<br/> 中島: 実はこの話には後日談があって、平林くんに「COMME des GARÇONS みたよ」といったらキョトンとしていて。よくよく聞いたら平林くんが言っていたのは COMME des GARÇONS じゃなくて COMME ÇA DU MODE (コムサデモード) だったっていう。<br/> (...)<br/> 中島: 60年代にフルクサスというアートムーブメントがあったのですが、アートムーブメントといっても実際に物質としての作品を作るというよりは、パフォーマンスやイベントとかその行為自体を作品としているようなものだったんですね。この本ではその当時のイベント告知や、プログラムなどの制作物がまとめられています。この本に出会ったときは、フルクサスを知って興味を持ったわけではなくて、単純にグラフィックがかっこいいというだけだったんです。あとはそのフルクサスという知らない言葉の響きに惹かれたというか。<br/>山口: リズムもいいですよね。<br/>
人があるものを認識するとき、知覚した存在と、知識としてもっている概念が結びついて認識につながりますが、生活の中では瞬時にそれが何であるかを理解しているので、知覚→認識というプロセスを意識することはありません。
中世から近代までのマスターピースから食材の部分だけを切り取り、各作品の文脈から切り離して編集し直してしまう
Vol.09 裏写りNGのアートブックで“透け透け”をアリにするデザイナー、イルマ・ボームの手腕とは?|Pen Online
被写体が実寸よりもかなり大きくプリントされている
本をつくる時には1ページずつを別々に印刷しません。数ページを1枚の紙にまとめて印刷し、それを折って断裁することで複数のページをつくります。この1枚の紙からできる数ページの単位「1折」は8ページ以上が1単位になっていて、1折の単位ずつであれば、順番を入れ替えることができます。このカタログは、1つの受賞作を紹介するページ数を1折分にすることで、順番の入れ替えができるようにしました。
本というメディアは表現を多くの人に伝える作品集として機能しながら、編集の過程で物事を分析することのできる側面もあります。
ZEENとはオランダ語の解剖学用語で、臓器や筋肉を引っ張ってつなぎとめるような機能をもつ部位の総称です。この言葉がもつ緊張感と曖昧性が写真の本質を暗喩しつつ、単語の発音は彼らが発表の場としてきたジン(雑誌)も彷彿とさせます。
ルシェがヒントにしたかもしれない『アルバム・銀座八丁』の撮影地である銀座通りを舞台に、ルシェへのオマージュを制作するという、さまざまな要素が絡み合ったこの作品。本作で明確に異なるのは、夜景を撮影している点です。
いちばんの特徴は、ヒックスの作品を彷彿とさせる、羊毛の塊のような質感の小口です。この加工を実現するべく、ボームは製本所と協働して、制作工程で用いる機械を転用した独自の加工技術を開発しました。
中島<br/>僕、最近、自分の境界線を曖昧にしておくことって、大事だと思っているんです。自分が 釣り好きなのも、根室にすごく興味があるのも、自分の境界線がすごく曖昧になる感覚があるからなんです。<br/><br/>長嶋<br/>釣りの場合は?<br/><br/>中島<br/>自分が溶ける感じ。言い換えると、自分が環境の一部になっちゃうような感じ。根室に行った時や釣りをしている時、あとサウナもそうなんですけど(笑)、すごく近い感覚なんです。その感覚が冴えている時だからこそ気がつくことがある。だから、最近では、そんな感覚を意識的に自分の身体に作っておくのは大事なのかなって思っています。
この本ではテキストが一切使われず、ページを開くと丸や四角、三角といった単純な図形がページ上に配置されています。これらの図形は登場人物や場面が記号として表現されたもので、ページをめくっていくと色彩の変化と図形の動きだけで物語が進んでいきます。
撮影した映像フィルムの一部と、初期からファクトリーでウォーホルの作品制作に携わっていたジェラード・マランガの詩を組み合わせた見開きが淡々と続く
「バーチャル空間はリアルな空間の代替ではない」という話をしていました。現実の空間をそのまま3Dに置き換えるだけでは意味がない
VIRTUAL ART BOOK FAIR 2020 Vol.1 フィジカル、そしてバーチャルへ―中島佑介×東直子×田中義久 | Column | 花椿 HANATSUBAKI | 資生堂
読書では、本を手に取ってページをめくる触覚と視覚による刺激があり、それによって読者は記述されている情報以上のものを受け取ります。
インスタレーションビューと作品の忠実な複写をうまく織り交ぜ、ページをめくるごとに展覧会場で作品を鑑賞しているかのような追体験を演出し、会場という物理的な制約のある展覧会を書籍化によってパッケージし全世界に伝播させることを意図した編集
包みの中にはレアアイテムかもしれない、絶版かもしれない本が入っています。販売価格は一律ですが、なにが入っているかは開けてみるまでわかりません。入っている本を想像する楽しみに加えて、封筒に何重にも貼られたシールや配達員による書き込み、宛先変更の履歴など、それぞれが経てきた痕跡も魅力のひとつ。誰かの手に渡るはずだった本が届かず、保管されているうちに価値が変わっていったという物語のある「Return to Sender」は、書店で一冊を選ぶ時とは異なる本との出合いを提供してくれます。
アートブックは、単なる資料的価値だけでも、本そのものを作品化したような奇抜な装丁だけでも成立しません。その両方を兼ね備えたものが、未来に残されていくアートブックとなり得るのではないでしょうか。